不動産コラム 7.不動産仲介業の原点

今回は、不動産仲介業の原点というか、どのようにして不動産仲介行が始まったかについて述べてみます。とはいっても、このことについては私が調べたわけではなく、私が在籍していた不動産販売会社の社長と専務が教えてくれたものです。

その会社では何ヶ月かに1回の割合で、社長と専務が各支店をまわり、仲介業のノーハウについて講義をしていました。講義は主として専務が受け持っていて、時々、なーる程という様な知識を披露したものです。

さて、不動産といっても、土地、新築一戸建て、中古一戸建て、中古マンション、売店舗などかありますが、それらの不動産を仲介する場合は、広告によって「買いたい人や」「売りたい人」を探す必要があります。

お客様を集めることを「集客」といいますが、中小の不動産会社が集客するためには新聞や、折り込みチラシなどを使います。現在は、自社印刷機を持っている不動産会社が多くなり、2色刷りが1回で出来る印刷機も開発されていますが、仲介業発祥の頃は、そんなものはありませんでした。

そこで、朝日、読売、毎日等の新聞に4行か3行の不動産広告を載せたものだそうです。資金力の無い業者はせいぜい10物件ぐらいの不動産広告を載せ、その中に爆弾を仕込むことになります。初期の頃はかなり危ない広告物件もありで、当然のように、問い合わせの電話が鳴ります。

最初にこの方法を始めたのが、東中野の業者の方だといっていましたが、真相の程はわかりません。東中野にはいい住宅街があり、その中の安くて広い土地とか住宅の三行広告を23区内に配布される新聞広告に掲載します。

その広告に反応して来たお客様を、広告に掲載した物件に案内しますが、実際は、近所に嫌悪施設があったり、土地の形が極端な変形地形だったりして、お客様の感度は出ません。「感度が出る」というのは業界用語で「気にいる」という意味です。

業者の方では、最初から気にいらないことはわかっていますから、次に吉祥寺あたりの物件を案内します。吉祥寺にもかなりの高級住宅街があります。それでダメなら次は国立に引っ張り、最後は豊田というのが、中央線縦の戦略です。

しかし、この縦の線で決まらない場合は、横に振ります。つまり、吉祥寺できまらなかったら、都心を中心にした円を描き、中心から同じ位置にある西武池袋線の「つつじが丘」か「上石神井」あたりを案内します。

土地の価格からいって、この駅付近だと、吉祥寺より倍近い土地が買えますから、ここで決めるにはどうするかについては、営業社員の説得力と、買う側の立場が決め手になるというわけです。

例えば、一流会社の管理職にある人が吉祥寺で25坪ぐらいの土地付き住宅を買っても、部下を自宅に呼ぶ場合、同じ価格で40坪以上の土地が付いた住宅を買えるとなれば、西武線で購入する割合はかなり高いものがあるのです。

当社のように、鷹の台を中心にした地域限定客が多い場合と違い、広い範囲からの集客をメインにしている仲介会社では、そのような戦略を組んでいるという事です。


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